仕事は週休4日の週3日勤務の正社員でもよくない?ダイバーシティの本当の意味とは?

こんにちわ。サトリです。

さて、もうすぐGWも終わりお仕事が始まる人も多いのではないでしょうか?

そろそろ、仕事も週3くらいにしてもいいんじゃないかなと思っているサトリです。

ダイバーシティ推進!

正社員という魔法の言葉

高校や大学を卒業したら、すぐに会社員になって、週に五日は働いて、土曜と日曜の二日間は休む。これが、現在の日本では多数派の「ふつう」の就職です。

雇用契約の期間に定めのない(契約上は半永久ということになっている)、いわゆる「正社員」になることが「まとも」な社会人生活をおくっていくための第一歩だと、多くの人が信じ込んできました。

企業側も、正社員として採用することが新卒の学生に対する「ベストな待遇」だと考えて、新卒一括採用を基本とした組織づくりをしてきました。

しかし、一人ひとりの若者が仕事や人生に求めるものは、どんどん多様になってきています。

そして、それぞれいろいろな理由から、正社員として組織にきっちり属すことを望まない若者も現れてきました。

そもそも正社員という雇用形態はなんら法的根拠のない、とてもあいまいなものです。

契約期間に定めのない正規雇用であっても解雇されることなんていくらでもあるし、福利厚生やボーナスも別に法律上必要なものではありません。

正社員なら年齢とともに給料が上がっていく、というのもただの「よくある話」でしかなく、儲かっている企業の「サービス」です。

 

そして、なんでも揃っていてベースはそこそこ豊かだけど、これ以上はなかなか増えたり上がったりしないという成熟した時代に突入して、正規雇用のフルタイムで働ければ人生安泰、なんていう世の中ではなくなってきました。

それでも、学校を卒業したらとりあえず、すぐに週5日を会社や仕事にロックされる、というのは、本当に健全なことなのでしょうか?

もしかしたら、「正社員」という魔法の言葉が私たちの頭をおかしくしているのかもしれません。

週3勤務の正社員でもいいじゃない?

例えば新卒や20代の若者に「週休四日で月収15万円」の仕事があれば、週三日だけ働いて最低限必要なお金を稼ぎ、余った時間はもっと自由に使ったらいいんじゃないかな?とか思います。

例えば下のように、自分が好きなこと得意なことで収入を得る副業とか、スキルアップとかね。

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もちろん、日本の若者全てにこの働き方を推奨しようなんて考えたわけではありません。

こういう選択肢もあっていいのではないか?という一つの提案です。

労働のあり方やスタイルに対しては、まだまだ「こうあるべき」という限定的で硬直した考え方が根強いです。

ですが、今はやりたいことがない人も、今後やりたいことをゆっくりと模索したいという人もいるでしょう。

正社員でフルタイムで働くと中々その猶予もありません。

転勤もあるかもしれませんし、残業や転属もあるでしょう。

勤務地や労働時間、職務などに自由の利かない正社員という「ロックされた」働き方に疑問を抱いてしまいます。

カッコよくいえば、モラトリアムの見直しとワークスタイルの多様化です。

海外では就職する年齢は平均30歳!

社会環境が成熟した北欧の国などでは、大学入学の平均年齢は22〜23歳で、大学を卒業して就職する年齢の平均は30歳近くだという調査報告があり、日本よりもはるかに高く、社会的に寄り道できる時間がたくさん用意されています。

オーストラリア:大学進学率:96%:大学入学年齢平均:26歳
ノルウェー:大学進学率:76%:大学入学年齢平均:30歳
アメリカ:・大学進学率:74%:大学入学年齢平均:27歳
オランダ:学進学率:65%:大学入学年齢平均:22歳
日本:大学進学率:51%:大学入学年齢平均:18歳
ドイツ:大学進学率:42%:大学入学年齢平均:24歳

世界主要国の大学進学率、大学入学年齢はこうなっている!

そういう国々の若者たちは、18歳で高校を卒業してから大学に入学するまで数年間ある「余白」の時間は、いろいろなアルバイトやボランティア活動、長期の外国旅行をしたりして、とにかく自由にすごすようです。

そうやっていろいろな経験や出会いを重ねているうちに、自分の興味や関心が明確になってきて、それから大学に入る。

それでも迷ったら、途中で休学するとか、長期の企業インターンシップをするとかして、ゆっくり時間をかけて勉強し、30歳ぐらいまでに卒業して本格的に働きはじめるという感じです。

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そんな彼らにとっての20代という時間は、自分の可能性や将来のライフスタイルをちゃんと模索するための貴重な猶予期間(モラトリアム)になっています。

しかしそれは、社会が個人に甘いということではありません。

あくまでも一人前の「大人」になるための経験を積む健全な寄り道として、必要なものとして、モラトリアムが認められているのです。

一方で今の日本の若者には、この猶予期間がほとんど用意されていません。

というよりも、社会から認められていません(大学生活の四年間があれば十分ではないかという指摘もありますが、青年期におけるモラトリアムが意味をもつには、日常生活で得られるものとは異なる多様な経験や出会いが必要であり、ただ時間がたっぷりあればいいわけではありません)

学校を卒業したら、できるだけすぐに就職して、平日は精一杯働く。

正社員になれば残業はあたりまえで、土日は体を休めたり、必要な買い物をしたりするだけでほとんど終わってしまいます。

仕事以外のことを何か深く考えてみるとか、新しいことを学んだり、ふだんやらないことに取り組んでみたり、なんていうのはかなり難しい状況です。

これでは、日々の生活の意義や将来について考えるとか、自分の可能性を模索するといったことがなかなかできません。

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ダイバーシティってよく聞くよね?ダイバーシティとは?

ここのところ、「ダイバーシティ」(多様性)という言葉がよく用いられます。

これはもともとアメリカから輸入された概念です。

アメリカには、人種や民族や宗教の異なるさまざまな人たちが暮らしており、それが原因で血を流す争いや衝突を繰り返してきたという歴史があります。

そのため、お互いの違いをどう受け入れ、認め合い、どう活かしていくかというのは常に大きな問題だったようです。

ダイバーシティとは、多様な人材を積極的に活用しようという考え方のこと。 もとは、社会的マイノリティの就業機会拡大を意図して使われることが多かったが、現在は性別や人種の違いに限らず、年齢、性格、学歴、価値観などの多様性を受け入れ、広く人材を活用することで生産性を高めようとするマネジメントについていう。 企業がダイバーシティを重視する背景には、有能な人材の発掘、斬新なアイデアの喚起、社会の多様なニーズへの対応といったねらいがある。

コトバンク:ダイバーシティ

これに対し、日本は基本、単一民族的な島国で、人種や宗教をめぐる激しい対立などは現代ではほとんどありません。

そのせいか、日本でダイバーシティというと、女性も男性と同じように社会参加できるようにしようとか、障害者も健常者と同じように働けるような環境を整えようといった話が中心になりがちです。

本来は「さまざまな違いを活かす」ことがダイバーシティ開発なのですが、日本ではどうも「できるだけ違いをなくすこと」というニュアンスでとらえられてしまっていることが多いようです。

このような背景の違いもあって、欧米で語られるダイバーシティには、一人ひとりの個性や価値観、ライフスタイルの多様性も議論に含まれますが、日本ではまだ、あまりそういったことには言及されません。

ダイバーシティには「がむしゃら」より「やわらかさ」と「しなやかさ」

戦後から、日本人の多くは貧しさから抜けだし、物質的な豊かさを手に入れるという唯一無二の目的に向かって、とにかくがむしゃらに働いてきました。

その過程で、少しでもムダがなく、合理的に生産性を高めるということに熱中し、俗にいう「金太郎飴化」がすすんだようです。

流行りのダイバーシティとは真逆ですね。

しかし、貧しさから抜けだし、物質的な豊かさを手に入れるという目的をある程度達成した今、社会環境は成熟し、いろいろなシステムが制度疲労を起こしたままかたまってしまい、なにをするにも窮屈さを感じるようになってしまいました。

また、次々起こる新たな社会問題は単純には白黒つかない複雑なものばかりで、私たちはまさに今、時代の岐路に立っているのではないかと思います。

日本人の間には、血を流すような激しい対立があるわけではありませんが、一人ひとりの内面の世界を見ていけば、それぞれが本来もっているズレや違いはたくさんあり、まさに「いろいろ」です。

私たちは今、経済規模の拡大や生活水準の向上を目指してがむしゃらに頑張ることよりも、一人ひとりがもつ微妙な違いや複雑な多様さをお互いに認め合い、引きだし合い、そして活かし合っていくための「やわらかさ」や「しなやかさ」を必要としているのではないでしょうか。

それこそが、「ダイバーシティ」(多様性)ですよね。

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ダイバーシティには社会の「枠」からはみだすことも重要!

私たちはしばしば、世間の批判や評判を気にするあまり、「これくらいなら正解に近いだろう」「このくらいなら批判されないだろう」という「枠」を気付かないうちにつくってしまいます。

これからは、そうした「枠」から積極的にはみだしていけるゆるさが必要になるのではないかと思います。

しかしそれは、「枠なんか全く気にしない」という態度をとることではなく、「枠」の存在は客観的に認識しつつ、そのうえではみだしていくということです。

法律や普遍的モラルといった、やはりはみだすべきではない、あるいは、はみだすとしても慎重にそうすべき「枠」は存在します。

一方で、「なんとなく決まっている」だけの価値観や、「これまでそうだった」というだけの過去の常識など、はみだしても本質的には問題がない「枠」もたくさんあります。

この違いを冷静に理解しつつ、必要に応じて「枠」からはみだしていくこともも大切です。

それこそ、真の「ダイバーシティ」(多様性)推進ですよ!

非常識であることは、違法であることとは違い、「枠」からはみでることは、「悪」ではありません。

しかし当然ながら、「枠」をはみだそうとする行為や表現に対してはさまざまな意見や批判が生まれるでしょうが、その「評価」に一喜一憂するのではなく、自分のアクションに対する「反応」をしっかりと受け取り、それを楽しむことが大切だと思います。

批判的な意見や辛口の評価に対して、過度に正当性を主張するなどの反論をしなくても、自分なりの考え方や想いを丁寧にやわらかく伝えていけば、別のところに興味を示してくる人が現れてくるかもしれません。

すべての人たちに受け入れられなくても、一部の人にしっかり理解してもらい、深く共感してもらえればいいのです。

まとめ

私たちは、定着して「あたりまえ」になった「かたくてつまらない」社会システムや文化の中にいると、その「まとも」さや安定感からしばらくは居心地の良さを感じることができるのかもしれません。

そこには、自分と同じように行動する仲間らしき人たちもたくさんいます。

しかし、しばらくすると日常が窮屈で悶々としたものになってきます。

そして、そこから解放され、新しいライフスタイルや文化をつくりだしていくためには、さまざまな常識や価値観を手放し、一度リセットしてみる必要があります。

とはいえ、今いるところから飛びだすということは勇気のいることであり、そして、とても不安なことです。

当然、混乱やとまどいが生じます。

理解者がすぐには現れず、寂しさに襲われるかもしれません。

すると、思わず肩に力が入ってしまいます。

だからといって、攻撃的になる必要はありません。何かを破壊する必要もありません。その混沌とした状態を、脱力して楽しめばいいです。

どうすれば脱力できるのか。

そして、楽しめるのか。それは、そこにいる人間一人ひとりを感じる、ということだと思います。

混沌とした空間で不安を感じているのは、自分だけではありません。

お互いにその不安やとまどいを素直に認め合い、共有することで、試行錯誤の不安定なプロセスを一緒に乗り切っていくことができるはずです。

創造的脱力は、寂しくはありません。

「ゆるさ」の中に、共にとまどう仲間たちの複雑な想いや考え、いろいろな価値観が吸収されていて、衝突しながらも、それを認め合うことができる優しさがあります。

人間一人ひとりが関わり合う生々しく湿ったコミュニケーションの物語が、「新しい何か」をつくりだしていくのだと思いますよ。

まずは、仕事をしながらゆるくスキルアップしてみましょう!

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